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徳風会の歴史

松崎整道先生は「福田海」の多田(中山)通幽先生から、墓相の教えを受けました。

大正十四年、松崎先生のご指導で、東京の浅井書店主や森江書店主など五、六名で「功徳海地蔵講」という会をつくりました。

昭和六年ごろ、京都には上野氏が「精道会」をつくられ、昭和七年京都伏見には「徳積会」ができました。

昭和七年大阪で、京都上野氏の希望により、奥村氏、柴田氏が松崎先生の指導のもとに墓掃除をする会をつくりました。降専寺において第二回目の墓掃除を開催したとき、名称を付ける話が出たので本堂で話合いの上、五つ程の名称をつくり、子供に目隠しをして一つを取らせたところが「徳風会」であった。
松崎先生は以後全国の会へ徳風会の名称が聞きやすいから、この名称にするように勧められた。 


左より上野氏妻、松崎先生、竹谷先生、上野氏御子息、上野氏

左より 上野氏妻、松崎先生、竹谷先生、上野氏御子息、上野氏

昭和八年、「大阪徳風会」が松崎先生の講演の案内を、伏見の町に張り出したのを見て「徳積会」の一行は会場に行き松崎先生と会い、「徳積会」を「伏見徳風会」に変更してはどうかとのお話があり、以後「伏見徳風会」と名を変えた。

昭和八年暮れに、柴田氏の娘の嫁入り先の京都木屋町の人が「京都徳風会」をつくられたが、柴田氏が亡くなられると「京都徳風会」は一旦消滅いたしました。

昭和十三年ごろ森山氏が松崎先生の内命で「功徳海地蔵講」の名称変更を働きかけ「東京徳風会」になりました。

昭和二十三年、松崎整道先生がお亡くなりになり「精道会」は「京都徳風会」と名称を変更すると共に「伏見徳風会」は「京都徳風会」と合併し、初代竹谷聰進先生が松崎先生の後を受け継ぎ徳風会を取りまとめ、全国に会を広めていきました。

昭和二十四年、竹谷先生が、昭和天皇陛下に墓相の話を御聴講いただき、その時の献上品として「先祖の祭祀と家庭運」が発行されました。

昭和三十一年十月、京都宇治川の地蔵流しの後に、三好氏によって「聰寿会」が発足。「徳風会」の有縁無縁慰霊塔設立の補佐のための活動を開始する。

昭和三十七年、竹谷先生によって「徳風会出版社」が発足。昭和三十八年徳風新聞と基準宝暦の発行を始める。徳風新聞発行以前はチラシや手紙などによって浄業の通知をおこなっていました。

昭和三十八年十月、初代竹谷聰進先生死去、竹谷善夫氏が二代目「竹谷聰進」を襲名する。


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